3「嬉しいこと 哀しいこと」
ケホン、と小さな咳が出た。
「ケビンって、何か似合わないな」
「君はなかなか失礼なことを言いますよね」
骨にはヒビが入った程度で済んだ。治った後は、卒業までの数ヶ月間の殆どをレイムと共に過ごしていた。年が4つも離れている割に彼の背は高く、並んで歩いても違和感が無いほどだった。いずれ追い越されるのだろうかと考えて、自分の成長を切に願った。教室で会うと色々と話題にされるので、大概は校庭の端か屋上で会う約束をした。特に用があるわけではないが、話をするにはそれほど居心地のいい相手だったのだ。
「卒業試験はいつなんだ?」
「再来月だった気が」
「…また曖昧だな」
「まぁ何とかなるでしょう」
「卒業したら、寂しく…なるかな」
「はは、何言ってるんです」
「笑うな!」
「もっと笑います」
「…ガキ」
寂しくはない。
ないが、退屈になるなと思っていた。多分、お互いに。
ネクタイの色が違うだけの、揃いの制服もあと僅かの付き合いだ。自分のネクタイは青で彼は赤。深緑のブレザーはレイムに譲るつもりだったが彼のサイズには合わないようなので記念にとって置くことに決めた。モノに愛着を感じたのは家族を亡くして以来かもしれない。ここまで成長して漸く進歩出来たということなのだろう。レイムと出会い、始めこそ鬱陶しく思ったがお節介に助けられ続けた。
「進学したら、孤児院を出ると聞いた」
「バイトを始めてるので。施設からの援助もいずれは返しますよ」
「そうか」
「ちょっと遠くへ行くかもしれませんね」
「……そうか」
余分な一言を言った。
遠くへ、なんて自分から「寂しい」と言っているようなものだ。暖かい季節もあれば寒い季節もある。ずっと一人だったのだから大丈夫だ。今日も今日とて当たり障りのない話をして別れる。その日の晩、ベッドの上で毛布に包まりながら不透明な感情を延々消化できずにいた。そして私は布団の中で小さな咳をした。
無事に義務教育課程を終え卒業した私はレイムより先に大学へと進んだ。これといって明確な目標もなかったので当たり障りなく総合大学の経済学部に入った。大学へはまだ孤児院から通っている。最初の一年は少々準備が間に合わなかったのだ。キャンパスまでは電車を使って1時間と30分程度だった。時間のある時に彼に会いに行こうかと考えたが思いの他忙しく、ましてや義務教育中の彼と時間を合わせるのはなかなか難しかった。
「…退屈ですね」
キャンパス内に友人が居ないこともなかったが、それほど親密というわけでもなく浅い関係だった。上辺を装ったような人間に興味はなかったし、本音を話すような気にもならなかった。寂しいと言われればそうかも知れなかった。しかし自分には他に誰よりも信頼のおける人間が一人いる。それだけで十分満たされたのだ。
「…どうしていることやら」
そうは言っても再会の機会は余り無く、というよりレイムに時間がないようで断られてしまうこともしばしばあった。そうなると徐々に連絡も疎遠になっていった。自分の世界がまた少し小さくなっていくような気がした。
大学も3年になると進路を考え出す。就職か、どうするか。悩みぬいた末院へ行くことを決めた。就職して稼ごうと考えていたのだが悩んでいる時、彼と会う機会が一度あった。
「あんたの居る大学へ行く」
待ち合わせてからレストランへ向う道中、突拍子もなくそう告げられた。肩にかけていたバッグがずり落ちた。
「私が卒業したらすれ違いですよ?」
「それでも。そこの薬学部へ行くんだよ」
「へぇ…ねぇ、そろそろ名前を呼びませんか」
「なまえ?」
「君、「あんた」とか言うじゃないですか。いい加減名前でいいです」
「…、ザクス」
「いきなりあだ名ですか」
「いいだろ、呼びやすいんだ」
「分かりました分かりました」
「ザクス」
「ふふ、はいはい」
名前で呼べと言ったあの日、終始機嫌がよさそうに見えたのは気のせいではあるまい。
良い気分だった。
感情の起伏に乏しい私がこれ程高揚した気持ちで居ることは彼が原因である他に成り得ないだろう。翌日には伸び過ぎた髪を切りに行った。後にレイムには相当驚かれたが、短い方もいいのではないかと言われた。
悪い気分ではない。
しかし人生において良い事があれば手の平を返したように悪いことも起きる。後ろに列を成すようにして待機しているのだ。それは難なく通過できるようなモノであったり、一生の苦しみになるモノであったりする。この時の私の場合は、後者だった。
最低の気分だった。
教室の移動中、咳き込んだかと思うと眩暈がして、次の瞬間にはベッドの上だ。医者の言うところによると、結核の症状があるそうだ。そこはまだ、いい。次だ。
「網膜剥離?」
先日の事故の衝撃か、良くは分からないが視力が徐々に削れているらしい。左の目だけだったから、なかなか気付かなかったようだ。失明の可能性を問うと、応えは「有」との事だ。
脳裏には、真っ先にあの背の高いお節介の姿が浮ぶ。
いつか貰った電話番号のメモの存在を、しまったままの胸ポケットに感じていた。
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- 2011/11/20(日) 02:58:49|
- レイブレ|
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